TOYOTA クラウンのキャッチコピーにもなったReborn(生まれ変わり)という言葉ですが、疾病の改善には非常に大切な発想になります。
一般的に病気が治るイメージとしては元の元気な頃の身体に戻る、回復する感じを持っていると思われます。
確かに風邪や軽い症状のものであれば、その言葉のとおりでも十分なのかもしれません。
しかし長引く厄介な病気などでは元に戻る事イコール善しとも言えません。
長引く厄介な病気などでは生活習慣の見直しが必要となりますが、「生き方」の見直しも迫られることになります。
とかく元気なころの自分に戻ることが、健康になったという認識かと思いますが、オーバーにいえば別人に生まれ変わるといった発想が必要になってきます。
特にうつ病などの精神疾患では何とか元気な頃に戻らなくてはという発想は逆に症状を悪化させ、難治疾患という印象すらもたらしてしまうケースを見てきました。
早く元気になろう。 今までは出来たのに。 こんな自分は自分らしくない。
いずれも症状が出ていなかった頃の自己イメージに早く戻ろうと頑張ってしまい、かえって重篤化させている場合もあるのです。
そもそも症状が出ていなかった時分にもその芽は育っていたとみるべきであり、生き方が芽を生み出し育ててきたものでして、ある時限界点を超え発症したものだからです。
病気の芽を創り出してしまった自分に戻ろうとすることはその芽に肥料を与えるようなもので、頑張れば頑張るほど肥料を与えるという皮肉な結果になってしまうわけです。
かえって頑張り屋の方や真面目な方こそ、こうしたパラドックッスに陥りやすいので皮肉に思えます。
過去の自分に戻るのではなく新たな自分にRebornする時期の到来。 そんな側面も病気にはあるのかもしれません。
宮崎県串間市の海岸でウミガメの卵を見せていただきました。
早朝にウミガメが産卵した直後だから見せてあげると言われ、近くの海岸に見に行きました。
ウミガメの通った跡。
そして卵。
教えてくれた方は保護団体の方で、この卵を安全な場所に移すそうです。
卵は柔らかくぺこぺこしていて、全部で62個ありました。
この辺でも最近では珍しくなったそうで、近所の子供たちも集まって来ていて、かなりラッキーな夏休みの体験ができました。
健康の話からは少しそれるのですが、戦後70年を迎え、今後日本が向かう方向性が決まろうとしています。
日本が今後世界でどのような役割を担うべきかを考えるにあたり、日本一国だけで考えても意味はないと思うので、簡単に日本がどんな立ち位置なのかをシンプルに世界を1つのクラスに例えてみました。
わたしがみたクラスの主要な生徒達の特長と顔ぶれは、
明るく社交的でリーダー的存在のアメリカ君、喧嘩が強く、成績もよく学級委員を任されていて、担任の国連先生より時には存在感もあり、国連先生もアメリカ君にクラスの問題については相談するほど、頼られている。先生もアメリカ君の顔色を見ながら接しているといった感じすらある。 最近家庭の経済問題も大変なようで、リーダーシップは以前ほど無いような感じである。
一方最近メキメキと頭角を現してきた中国君。学級委員を目指していて、家族が多いためバイトをしてお金を貯めて頑張っている。お小遣いも多く、駄菓子屋でもたくさん買って食べたり、友達におごってあげたりもしていて、人気も出てきた。野心家であまり本音がみえない。 空手を習っていて喧嘩をしてもアメリカ君の次に強いほどに上達した。
以前はクラスをアメリカ君と二分するほどリーダー的存在だったロシア君。 現在は家庭の問題が大変なので、クラスでの存在感は以前ほどではない。社交的なアメリカ君に比べ、クールな印象で、仲のいい友達としか交流を持つことをしなかった。 喧嘩も強く、宇宙科学の授業ではアメリカ君をしのぐほど頭も良かったが、一時お父さんの仕事が上手くいかなくなり、家庭がごたごたしてしまい、学校も休みがちになり、以前ほどクラスでの影響力はなくなった。中国君と考え方が似ている部分もあり、表面上は仲がよさそうだが、本当のところはよくわからない。
ドイツ君やフランス君、イタリヤ君など家が近い友達が集まって作るEUというグループもあり、 一人ずつだと影響力が弱いが、グループになる事で、アメリカ君や中国君と対等な付き合いが出来ている。 最近は仲間内でぎくしゃくしているよう。
そんな中、一風変わった存在がいる。日本君だ。
彼の過去は壮絶で、考え方の違いから、アメリカ君をはじめクラスの大半を敵に回し喧嘩をした。国連先生が仲裁に入り話し合いもむなしく、大喧嘩に発展した。日本君は完膚なきまでに叩きのめされ、それまでの自分の考え方を改め、以後その教訓から暴力での解決では人を不幸にすると正当防衛以外の暴力を否定するようになる。
アメリカ君とはそれ以後、非常に仲良くなり、彼の考え方を受け入れ、舎弟関係のような友達のような奇妙な関係で成り立っている。
クラスのみんなからも勤勉さまじめさが評価され一定の信頼を得ることが出来てきた。まだクラスの委員にはなれていないが、話し合いには参加させてもらえている。
アメリカ君は日本君が誰かにやられたら僕が守ってやるといってくれていて、日本君の家の一室はアメリカ君が何時でも泊まれるように専用の部屋もあったりする。
体力はないが努力家で頭もよく、成績もいい。 日本君の最近の悩みの種は、近所に引っ越してきた転校生の北朝鮮君との付き合い方。家庭環境が複雑な子のようで謎めいていてどう接していいかわからない事。また近所の中国君とは自転車置き場の件などで少し関係が良くない状態が続いている事だ。
(非常に大雑把だがクラスに例えてみた。どの国の方が読んでも気を悪くしないように配慮したつもりだが、その国の方がみて不愉快に感じられたなら私の勝手な偏見とお許し願いたい。また登場人物が男性になってしまったのも私の発想力の乏しさからであり、ご容赦願いたい)
小中学校のクラスに例えて世界を俯瞰してみたが、私には上記のような感じに写る。
残念ながら現状の世界では高校、大学といった人間関係は当てはまらない。
なぜなら世界が依然として喧嘩(戦争)が強いか否かが重要ポイントとして評価されているようにおもえるからだ。
私自身、小中学生までは腕力こそが全てとまでは言わないまでも、多くの問題解決には有利だと感じて体を鍛えたものだ。
しかしそんな中、成熟した子もいて、平和的で、そういったいざこざとは無縁で、誰からも一目置かれた存在で、必要なときに必要な言動をする子がいた。中学生の時だったが、決して喧嘩が強いわけでもないが、自転車でツーリングするのが趣味で、物知りだった。 その子と話すと新鮮で、冒険心を掻き立てられたのを覚えている。クラス行事には率先して参加して、放課後、遅くまで面倒な作業をかってでていた、頼りになる存在。皆に平等な態度で接し、勉強も運動もそこそこ優秀でクラスには必要な存在の子だった。 学級委員からも、女子からも、各家庭の親御さんからも一目置かれていたと記憶している。先生からの信頼もあつい子だった。 その子には不良グループといえども手を出すと多くの敵を作ることになり面倒になる事はあっても利はない為、手を出さないといった暗黙の了解みたいなものがあった。 いやむしろ不良の子、個人個人とは仲良かったくらいだ。
いじめられてみんなから話してもらえないような子が出た時も、その子だけは普段通り淡々と接してくれる。ありがたい存在。 自分の夢を持っていて、その夢にはブレずに、普段は目立たないのだが、クラスで何か起こった時に頼りになる存在の子。
こんな感じの子がクラスにいなかっただろうか? 似たような子が。
今思えばその子はみんなよりも大人だった気がしている。高校生や大学生のような精神年齢だったのかもしれない。
私が以前中学の時に出会った、その子こそ、日本が理想とする立ち位置なのではないかと思うのである。
インターネットの発達した今、以前とは違って、国家が反日情報を流すにも限界があると思うし、正しい行いは世界中に伝わりやすい環境は整っています。
日本国民でさえ理解しにくい国際貢献ではなく、各国の国民にも理解されるような形での徳を積んでいくことで、敵とか味方を超えた、世界の中でなくてはならない存在になるのではないかと思うのです。
このポジションこそ日本の目指すポジションのように感じるのですが。
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